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このたび,笠岡市,丸亀市,小豆島町,土庄町の2市2町による
「知ってる!? 悠久の時が流れる石の島
~海を越え,日本の礎を築いた せとうち備讃諸島~」
が日本遺産認定されました。
≪写真:北木島の丁場≫
日本遺産とは、文化庁が地域の歴史的魅力や特色を通じて文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産」として認定し、地域活性化を目指す取組です。
ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的としています。
日本遺産は、2020年に東京で開催のオリンピック・パラリンピックに向け、100件程度が認定されることになっており、このたび,笠岡市を含む2市2町の取組が評価され,認定されました。
瀬戸内備讃諸島の花崗岩と石切り技術は長きにわたり日本の建築文化を支えてきました。
日本の近代化を象徴する日本銀行本店本館などの西洋建築,また古くは近世城郭の代表である大坂城の石垣など,日本のランドマークとなる建造物が,ここから切り出された石で築かれていいます。島々には,400年に渡って巨石を切り,加工し,海を通じて運び,石と共に生きてきた人たちの希有な産業文化が息づいています。
世紀を越えて石を切り出した丁場(ちょうば)は独特の壮観な景観を形成し,船を操り巨石を運んだ民は,富と迷路の様な集落を遺しています。今なお,石にまつわる信仰や生活文化,芸能が継承されています。
高島、白石島では、山頂に至る遊歩道が巡っています。瀬戸内海の素晴らしい眺望と、巨石・奇岩の自然景観にめぐり会うことができます。
石にまつわる信仰として、大飛島遺跡では、奈良・平安時代に都びとたちが海上交通の安全を祈り、宝物を捧げました。
北木島では、明治時代から産業としての採石が盛んになりました。北木石は、日本銀行本店、靖国神社の石造り大鳥居など日本を代表する建築物に使われ、日本の近代化に貢献しました。現在も採石が続く丁場(石切り場)は、まるで断崖絶壁のように迫力満点です。石切唄など、石の島ならではの文化も残っています。六島の大石山に登ると、瀬戸内海の幹線航路を一望できます。「海の道」によって、島と遠隔地が繋がっていたことを体感できます。
塩飽諸島は、海でつながる備讃諸島のなかでも、特に海運と縁のある地域です。
中世には塩飽水軍、江戸時代には塩飽廻船の根拠地として知られ、幕末には咸臨丸の乗組員を多数輩出しました。
本島には、塩飽の政庁「塩飽勤番所」や塩飽廻船の拠点として栄えた港町「笠島」の歴史的な町並みが残っています。また、塩飽を統治した「年寄」の墓をはじめとする大形の石造物もあります。千歳座は塩飽の繁栄や風俗を物語る貴重な建物として、今も島民らが活用しています。
広島には、花崗岩の自然景観「王頭山」や石づくりの灯台、石蔵などがあります。また、心経山の丁場から切り出される花崗岩は「青木石」として知られています。
小豆島の各地に、江戸時代初期、大坂城を再建する際に諸大名が採石した大規模な丁場跡が残っています。また、石工達の唄った石節が、保存会により伝えられています。
土庄町には道の駅「大坂城残石記念公園」と大坂城残石資料館があり、石切りの歴史を伝えています。
山頂で巨石が重なり合った重岩は、花崗岩の自然景観であるとともに、信仰の対象にもなっており大切にされています。
豊島には、花崗岩で作られた水場「唐櫃岡の清水共同用水場」や豊島の石材「豊島石」製の大鳥居があります。
大坂城石垣石丁場跡として知られる天狗岩丁場では、矢(鉄製のクサビ)の痕跡を残す大石がごろごろと転がっています。採石したものの証となる刻印が刻まれている石もあり、400年前の大名による採石の様子がをうかがい知ることができます。
豊富な石材をふんだんに使った池田の桟敷、中山の千枚田など、島に生きる人と石との関係は続いています。
備讃瀬戸の巨岩・奇岩を象徴する神懸山(寒霞渓)は、山地一帯が霊地として信仰の対象にもなっています。
石の島の4市町が連携し、日本遺産の認定を活かしながら魅力発信に取り組み、「備讃諸島の石文化」の国内外の知名度を高めるとともに、観光や産業の振興、まちのブランド化を図ります。