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大田市(おおだし)の概略 [平成31年3月31日現在]

ページID:0030851 更新日:2020年9月1日更新 印刷ページ表示

大田市(おおだし)の概略 [平成31年3月31日現在]

面積 :435.71平方キロメートル
人口 :34,283人 (男:16,382人,女:17,901人)
世帯 :15,590世帯

平成17年10月1日邇摩郡温泉津町・邇摩郡仁摩町と合併。大田市は、島根県の東西の中央部に位置し、北は日本海、南は中国山地までの広い市域を有している。
中世から近世にかけては石見銀山からの銀の産出で繁栄した。現在は坑道を観光資源として活用している。また、石見銀山遺跡以外にも国立公園三瓶山(標高1,126m)や温泉津温泉など特色ある観光資源がある。
農林水産業では、水稲と畜産、沿岸漁業などの農林水産業が基幹産業であり、特に畜産は島根県有数の畜産基地となっている。
工業は、石州瓦や家具、住宅建築関連の業種があり、石州大工・石見左官など建築技術にも古くから定評があるほか、ゼオライト・ベントナイト・珪砂など、豊富な地下資源が産出されている。特に「石州瓦」は代表的な地場産業である。
平成19年7月2日に、ユネスコの世界遺産委員会において、「石見銀山遺跡とその文化的景観」が世界遺産へ登録された。

大田市ホームページはこちらから<外部リンク>

銀の道(銀山街道)

笠岡市と友好都市縁組を締結するに至った理由

笠岡市とは、江戸時代中期の名代官 井戸平左衛門正明公が両地方を兼務していたことから、民間交流を含め、歴史的なつながりが強かった。特に、井戸公をまつった井戸神社が大田市にあり、笠岡市には同代官の墓地があるということで深い因縁で結ばれており、平成2年4月14日に友好都市縁組を締結した。

※井戸平左衛門正明
享保16年9月(1731年)
大森代官として石見・備中・備後の三か国の幕領支配を命じられる。
享保18年5月(1733年)
笠岡の陣屋にて死亡(62才)。

この間に、干ばつに強い甘藷(かんしょ:さつまいも)を普及させると共に、官庫(蔵米)を開くなどして、おりからの大飢饉で餓死寸前の領民を救った。その善政は現在も語り草となっており、全国に数百基の顕彰碑が建立されている。
なお、墓地は威徳寺にある。