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銀の道(銀山街道)
銀の道(銀山街道)
銀の道
大田市大森の石見銀山は、1526年に博多の商人、神屋寿禎によって発見されたと伝えられています。銀鉱石の採掘が始まった最初の頃は、大森から最も近い仁摩町鞆ケ浦の港から運び出されていました。銀山を吉田の毛利元就が支配するようになると、温泉津町沖泊を利用するようになりました。
江戸時代になると、幕府は銀山とその周辺を天領として直接治め、比較的安全となった陸上ルートがもっぱら使われるようになりました。初代銀山奉行 大久保長安は、大森から尾道(広島県)に至るルートを整備し、道幅7尺(約2.1m)、道のり32里(約130km)の輸送路を完成させました。これがいわゆる「銀山街道」と呼ばれるもので、大森代官所から小原(美郷町粕淵)、赤名峠、布野、三次、吉舎、甲奴、甲山、御調を通って尾道港へつながっています。馬300頭に人が400人という大輸送隊は、これを3泊4日の行程で銀を運んでいました。
このルート以外に甲奴町から府中市上下町、福山市新市町、神辺町を経て大阪方面に向かうルートも利用されていたという言い伝えが残っています。
笠岡でも陶山地区には、石見銀山で採掘された銀が陶山地区を通って笠岡港へ運ばれていたという言い伝えがありますが、確認できる資料は見つかっていません。