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名誉市民

ページID:0038374 更新日:2021年10月1日更新 印刷ページ表示

名誉市民

竹喬写真
昭和41年11月10日 推戴
故小野竹喬 氏 (日本画家)
「明治22年11月20日~昭和54年5月10日」
明治末から大正を経て現代に至るまで京都日本画家の正統を継承して,文展,帝展,日展で活躍し,日本画に現代美術としての清新自由な感覚と思考を盛り込み数多くの代表作品を創造しました。

 

小野博
昭和51年11月 3日 推戴
故小野博 氏 (初代~第6代笠岡市長)
「明治42年12月10日~平成9年2月8日」
昭和13年7月笠岡町役場に入り,地方行政に参与すること37年,昭和22年地方自治法の施行以来笠岡町長5年,笠岡市長24年(6期)を務め,特に土地と水不足の解消を実現するなど,本市の発展と自治の振興に献身されました。

 

天野與市
昭和59年11月17日 推戴
故天野與市 氏 (元県議)
「明治38年3月29日~昭和59年10月1日」
昭和12年から昭和26年までの約14年間,北木島村議会議員と村長を歴任して村行政の発展のために尽力しました。
昭和26年4月に岡山県議会議員に当選以来,昭和58年4月(8期)までに県議会正副議長,土木委員長などの要職を歴任しました。

 

伊藤大孝
平成 5年 2月 4日 推戴
故伊藤大孝 氏 (元県議)
「大正3年9月25日~平成5年1月1日」
昭和26年4月,岡山県議会議員に当選以来平成5年1月(10期)まで,県議会議長,各常任委員会委員長などの要職を歴任して,県民福祉の向上,県政発展,地方自治の伸展に貢献しました。

 

渡邊嘉久写真
平成17年12月10日 推戴
故渡邊嘉久 氏 (元市議、第7代~第12代笠岡市長)
「大正13年12月27日~平成17年10月9日」
昭和35年から笠岡市議会議員を3期務め,昭和51年笠岡市長に当選以来,6期24年間の在職中,駅前土地区画整理事業・公共下水道事業など都市基盤整備をはじめ,教育文化施設の充実に精励。
福祉の船「夢ウェル丸」建造など,住民福祉の向上にも貢献し,本市の飛躍・発展期を築きました。

 

加藤武徳様
平成18年 6月 4日 推戴
故加藤武徳 氏 (元岡山県知事,元参議院議員)
「大正4年11月21日~平成12年2月9日」
参議院議員を計5期務め,その間自治大臣を1年間務められました。また、岡山県知事として,昭和39年から2期8 年間の在職中に,高梁川から笠岡市までの22キロメートルに及ぶ導水事業を先頭に立って指揮され,水源を持た ない笠岡市が「水ききん」から解放されることになった功績は大きい。

 

加藤六月様
平成18年 6月 4日 推戴
故加藤六月 氏 (元衆議院議員)
「大正15年6月17日~平成18年2月28日」
昭和42年から衆議院議員を務め,以来33年間の在職中,2度にわたり農林水産大臣の要職に就かれました。その間,笠岡湾干拓地への通水,農道離着陸場の完成,おかやま食と緑の博覧会の誘致など,長年笠岡市が求め続けた「土地と水」の事業の完成時期において多大な貢献をしました。

 

吉岡洋介様
令和 2年 2月15日 推戴
吉岡洋介 氏 (会社役員)
「昭和8年3月10日~            」
昭和41年に現在のローム・ワコー株式会社を設立され,笠岡市を代表する企業に育て上げた。同社の経営戦略を海外に広げ,平成元年にマレーシア・コタバル市へ進出されたことを契機に笠岡市との交流が活発となり,平成11年10月に笠岡市とコタバル市との友好握手都市の締結に至った。令和元年に20周年を迎え,今なお笠岡市の国際交流の発展において多大な貢献をされています。

 

片山虎之助

令和6年2月24日 推戴
片山虎之助 氏 (元参議院議員)※片の文字は旧字体
「昭和10年8月2日~
平成元年から参議院議員を計5期務め,その間,郵政大臣・自治大臣・総務庁長官,初代総務大臣の要職を歴任された。持ち前の豪放な性格とち密な政治手腕により地方分権型社会の実現に向けて「三位一体改革」の旗振り役となるなど,地方自治の確立,地方が元気になるための様々な改革に貢献された。