保護の大切さ
保護の大切さ
(1)保護運動をした人たち
笠岡の海には、カブトガニが古くから住んでいて、特に、生江浜(おえはま)という海岸は、すばらしい産卵地で、夏になると、カブトガニの研究家たちが、日本国内はもちろん、外国からもやっきました。
▲70図 生江浜海岸
一方 カブトガニは魚をとる網を破るなど、漁業のじゃまをすることから、いぜんはきらわれものとして、たくさん殺されていました。
生江浜地区の漁業組合長を長くしていた、松成鶴吉さんは、ある時、「このカブトガニは、学問的に大変貴重な生物だから、殺さないで保護してほしい。」と、カブトガニを研究している先生から言われ、後には、『どんがめじいさん』と呼ばれるほど保護につくしました。
▲71図松成鶴吉さん ▲72図西井弘之さん
また、地元で医師をしていた、西井弘之さんは、仕事のかたわら、カブトガニの研究と保護運動に一生をささげた人でした。(70・71・72図)
(2)カブトガニを守る会
「昭和3年に、天然記念物“カブトガニ繁殖地(はんしょくち)”’として、国から地域指定されていた生江浜海岸が、干たくされてしまう。これはほっておけない。」と、西井弘之医学博士が立ち上がり、『カブトガニ非常事態宣言』を発表し、広く笠岡市民にうったえる署名運動が行われました。そして昭和45年には、『笠岡市カブトガニを守る会』をつくり、ついで、昭和53年には、『日本カブトガニを守る会』をつくりました。そして、今では、笠岡(岡山県)、伊万里(佐賀県)の2市に、『日本カブトガニを守る会』の支部ができ、近く、東予(愛媛県)市にも支部ができる予定です。このように、カブトガニ保護運動の輪が広がりつつあります。(73・74図)
▲74図 日本カブトガニを守る会結成
(3)カブトガニ保護少年団
笠岡市では、干たくによって少なくなるカブトガニを、なんとか少年たちの手で守ってやろうと、昭和46年7月に、笠岡市内3つの中学校生徒54名で、『笠岡市カブトガニ保護少年団』が結成されました。、
それ以来、毎年夏には、カブトガニの産卵地の海岸清掃作業や、産卵調査、研修活動、親睦などの諸活動を行なってきました。現在は、笠岡市内5つの中学校70名の団員がいます。(75・76・77図)
▲75図 海岸清掃作業 ▲76図 研修活動
▲77図 研修活動
(4)カブトガニ保護センター
笠岡の海は、わたしたちの生活が豊かになるにしたがい海水の汚染がすすみ、さらにひがたが少なくなったことも重(かさ)なって、カブトガニがほとんどいなくなってしまいました。なんとかして、カブトガニをふやしてやらなくてはなりません。そのためには、カブトガニの保護の 大切さを広くうったえることと、カブトガニの研究を進めることが重要です。
▲78図 カブトガニ保護センター
79図 シンポジウム
これらの目的のため、昭和 50年4月1日に、『笠岡市立カブトカニ保護センター』ができました。ここでは、カブトガニの保護と研究を中心にした活動(シンポジウム、人工ふ化、幼生の放流、実験飼育、標本展示物の説明、保護少年団の研修など)を行ってきました。(78・79・ 80・81・82図)
▲80図 人工ふかだな ▲81図 少年団員の放流中
▲82図 展示説明
(5)カブトガニ博物館
▲83図
カブトガニ保護センターの見学者が、年と共にふえてきました。そこでもっと多くの人に、2億年以上もこの地球上に生き続けた、『生きている化石』カブトガニの生命のとうとさを学んでもらい、生物や自然を愛する心のやさしい人間になってもらう目的でつくられたのが、世界に一つの『笠岡市立カブトガニ博物館』です。この博物館では、生きたカブトガニが実際に見られ、カブトガニについて、わかりやすく展示説明がされ、また、シアターでは、カブトガニの進化の歴史を映像で学習できるように工夫されています。また、この博物館の前庭は、カブトガニと同時代に生きていましたが、今は絶えてしまっています恐竜の実物と同じ形や大きさのものを、8種9体展示した、『恐竜公園』となっています。これらの恐竜公園をふくむカブトガニ博物館は、平成2年3月16日にオープンしました。(83・84・85・86図)
▲84図