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笠岡の干拓と埋立の歴史(近代)
笠岡の干拓と埋立の歴史(近代)
近世以降の笠岡の歴史は、干拓地の歴史といっても過言ではありません。
吉浜、生江浜、西大島、入江、白石島など多くが江戸時代期以降の干拓事業で陸地化しています。
現在私たちが生活の基盤としているこの大地の多くが先人たちのたゆまない努力と汗の結晶であることを忘れてはなりません。
ここでは、そうした多くの干拓・埋立事業がある中でも特に大規模事業といわれた「富岡湾干拓」と「笠岡湾干拓」それに埋立事業の「美の浜埋立」について紹介します。
富岡湾干拓事業
農林省の富岡湾干拓事業は,完成まで「笠岡湾干拓事業」と呼ばれていましたが、現在の笠岡湾干拓と同名でまぎらわしいことから、富岡湾干拓と呼ばれています。
この富岡湾干拓地は、江戸時代の古くから計画がなされていましたが、当時としては大規模なために、何回も挫折したものでした。
昭和21年3月には笠岡湾干拓事業として、笠岡町に委託されましたが、予算的制約から進捗もなく、昭和23年7月農林省に引き継がれ、13年の歳月と3億7千万円の費用を費やして、昭和33年12月完成しました。
こうして完成した干拓地の土地利用については、笠岡市へ宅地として払下げをしてもらうため、農林省・岡山県での種々検討を経た結果、約103haの市街地が完成しました。
事業主体:農林省
工期:昭和21年3月着工~昭和33年12月完了
事業費:3億7000万円
美の浜埋立事業
富岡湾干拓完成後、新しい街づくりのため笠岡湾の適地へ土地を造成すれば、より効率的な造成ができることから、笠岡湾横島沖の緑町地先から瀬戸地先を結ぶ39.4haの海面の土地造成に着工しました。
1工区を昭和55年度に、2工区についても昭和58年度に完成し、住宅地の分譲を開始しています。
また、美の浜緑道公園によって新しい街づくりを進め、緑と水を中心とした快適な環境が整備されています。
事業主体:笠岡市
工期:昭和47年5月着工~昭和59年5月完了
事業費:約72億円
笠岡湾干拓事業
笠岡湾を東西両堤防で締め切り、海面1,811haを干拓する笠岡湾干拓事業は、多年、土地と水に恵まれなかったため発展をはばまれてきた笠岡市にとって、このすべてを一挙に解決するものでした。
幸い、昭和43年5月、関係漁民の深い理解により漁業補償が解決され、昭和43年12月に本格的な工事が開始され、平成2年3月に完成しました。
事業主体:農林水産省
工期:昭和41年12月着工~平成2年3月完了
総事業費:300億円
用水計画:水源、高梁川新成羽川ダム
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