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展示室をのぞいてみよう-古墳時代

ページID:0051437 更新日:2023年6月13日更新 印刷ページ表示

笠岡に井笠地域最大の古墳が?

 3世紀後半になると日本各地で盛んに古墳が造られるようになりました。古墳とは盛土をした大きなお墓(墳墓)で、主に豪族(地域の有力者)が葬られています。古墳には円墳・方墳・前方後円墳など様々な形のものがあります。
 笠岡市内でも80基以上の古墳が確認されています。中でも最大規模を誇るのが走出地区と山口地区の境にある「長福寺裏山古墳群」(笠岡市指定史跡)です。長福寺裏山古墳群では、5世紀代にあいついで古墳が築かれ、11基の古墳が点在しています。
 その中のひとつ双つ塚古墳は、全長約60メートルの前方後円墳で、備中西部最大の古墳です。笠岡にも大きな勢力を持った豪族がいたことをうかがわせます。ほかに東塚古墳(全長約50メートルの前方後円墳)、仙人塚古墳(全長43メートルの帆立貝形古墳)、一つ塚古墳(全長21メートルの帆立貝形古墳)、七つ塚古墳群(4基の方墳)があります。現在は「かさおか古代の丘スポーツ公園」の一部として見学路が整備されており、気軽に訪れることができます。仙人塚古墳では、石室の中を見ることができます。
 長福寺裏山古墳群からは、古墳に並び立てられた埴輪や、副葬品として古墳に納められた須恵器、土師器、鉄器、銅鏡などが出土しています。郷土館では、その出土品の一部を展示しています。

郷土館展示資料 長福寺裏山古墳群の出土品

須恵器 はそう
須恵器  はそう(七つ塚1号墳) 
須恵器は、窯において高温で焼成された灰色の焼き物です。
須恵器の生産技術は、朝鮮半島からもたらされました。七つ
塚1号墳から出土したものは、県内で最古段階の初期須恵器
です。

東塚古墳出土品
東塚古墳出土品 
左上:銅鏡 中央上:鉄鏃 右上:鉄鏃
左下:轡(くつわ) 右下:鉄鎌 
東塚古墳では、このほかにも武器や馬具、工具
などの多数の鉄器が出土しました。