本文
展示室をのぞいてみよう-弥生時代
海底に弥生時代の青銅器が?
大陸から日本に稲作が伝わったのは、約2500年前のことと言われています。弥生時代の始まりです。米作りが始まったことで、各地にムラが形成され、人々はより安定した生活を送ることができるようになりました。
笠岡市の北部、甲弩・走出付近は、小田川と尾坂川に沿って平地が広がっており、水田を作るのに適した場所となっています。弥生時代の遺跡が甲弩た走出に多いのはそのためだと考えられています。この一帯では水田が広がり稲作が行われていたことでしょう。郷土館では、甲弩の宮山から出土した弥生土器の「台付無頸壺(だいつきむけいこ)」を展示しています。
稲作とともに大陸から鉄器や青銅器も伝わりました。市内では、昭和57年(1982)に笠岡湾干拓工事中に偶然「銅戈(どうか)」が出土しました。戈(か)はもともと武器ですが、日本では銅剣などと同じように祭りの道具として使われるようになりました。弥生時代に海であったはずの場所になぜ銅戈が埋もれていたいのかは不明ですが、笠岡でも弥生時代に青銅器を使った祭りが行われていたことが分かります。
郷土館展示資料 弥生時代の出土品
弥生土器 台付無頸壺(甲弩の宮山から出土 弥生時代中期)
穴が故意にあけられ、使うことができなようにしている。
実用性を失わせることで、祭祀用の道具にしたと考えられている。
銅戈(笠岡市指定重要文化財) 全長34.6cm・厚さ4mm
笠岡湾干拓以前は海中だった場所から見つかった。
弥生時代に、海の神に捧げられたものかもしれない。