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郷土館展示内容

印刷用ページを表示する更新日:2011年3月1日更新 <外部リンク>

展示内容

津雲貝塚(つくもかいづか)国指定史跡

津雲貝塚出土縄文土器
津雲貝塚出土縄文土器

大正年間の発掘調査で縄文時代の人骨が多数出土したことで知られ、日本史の教科書にも登場する有名な津雲貝塚は、西大島にある。貝塚は、貝殻をはじめとするごみや土器・石器・骨角器などを廃棄した場所だが、一方で人間を埋葬する墓地でもあった。大正時代の発掘調査は17回以上行なわれ、合計170体近い縄文人骨が採集された。この人骨の研究成果は、その後の考古学・人類学研究に大きな影響を与えた。人骨の多くは屈葬で葬られており、抜歯の風習もみられた。中には貝や骨で作ったブレスレット、ネックレス、ペンダントなどを身につけていた人骨もある。縄文土器、石器なども多数出土した。

銅戈(どうか)市指定重要文化財

銅戈(弥生時代の青銅器)
銅戈(弥生時代の青銅器)

銅戈は弥生時代の武器形青銅器。笠岡湾干拓地内から偶然出土した。出土地点は現在では陸地となっているが、干拓以前は海中だったはずであり、生江浜の旧海岸線から約500m沖にあたる。昭和57年(1982)、重機で暗渠排水用の溝を掘っていた作業員さんが発見した。弥生時代に、祭器としてあえて海中に投棄された可能性も考えられる。
戈はもともと中国古代に用いられた武器の一種で、長い柄の先端近くに刃を取り付けて使った。
日本では、銅戈は銅剣・銅矛などと同じく、祭祀の道具としての性格が強い。銅戈は九州や大阪湾沿岸で多く発見されているが、岡山県下での発見例は少ない。

長福寺裏山古墳群(ちょうふくじうらやまこふんぐん)市指定史跡

七つ塚1号墳出土須恵器
七つ塚1号墳出土須恵器

5世紀代に築かれた古墳群。走出と山口の境界にあたる山の上に、10基以上の古墳が点々と築かれている。現在、「かさおか古代の丘スポーツ公園」として遊歩道が整備されている。
七つ塚古墳群は、小さな方墳4基で構成され、5世紀前半の初期須恵器が出土している。双つ塚古墳は、墳長約60mの前方後円墳で、井笠地域で最大の古墳である。周りには堀と土手がめぐっており、古墳本来の形をよく残している。
仙人塚は43mの帆立貝形古墳で、葺石がふかれていたことが分かっている。最もたくさん埴輪が出土した古墳で、円筒埴輪のほかに動物・人物などの形象埴輪の破片も見つかっている。現地に行くと、竪穴式石室が見学できる。明治時代にこの石室から短甲(鉄のよろい)が掘り出されたというエピソードが残る。
東塚は50m弱の前方後円墳で、後世の開墾によって南半分が壊されていたが、公園整備に伴って復元されている。

東塚古墳の副葬品
東塚古墳の副葬品(銅鏡・鉄製品)

関戸廃寺(せきどはいじ)県指定史跡

白鳳時代の鬼瓦
白鳳時代の鬼瓦

関戸には、笠岡で最初に建てられた大きな寺院の跡がある。この寺は飛鳥時代(7世紀後半)にはじまり、平安時代(11世紀)に焼失したらしい。今では大部分が水田となっているが、発掘調査の結果、金堂や塔の跡などが確認され、おおよそ伽藍配置が明らかになった。また、土器や鉄釘のほか、おびただしい量の瓦が出土している。現在廃寺跡を訪れると、露出している巨大な礎石が目に付くが、これは塔の中央にある柱の礎石(心礎)である。寺院であった頃の敷地の区画は、今でも水田の畦の形に反映されている。

鴟尾(しび)
鴟尾(しび)

大飛島洲の南遺跡(おおびしますのみなみいせき)市指定史跡

大飛島遺跡出土品(国指定重要文化財)
大飛島遺跡出土品(国指定重要文化財)

飛島小学校の校庭にある。古代に、海上の安全を祈願した祭祀跡。昭和37年(1962)、校庭に鉄棒を設置しようと地面を掘っていたところ、銅鏡・銅鈴・銅銭・土器類などが出土して偶然発見された。その後、5回の発掘調査が行なわれ、大きな岩の周りで「まつり」が行なわれていたことが判明した。特に、奈良~平安時代の出土品には、全国的にみても貴重な品々が含まれており、中央朝廷が祭祀に関与していた可能性が指摘されている。遣唐使の航海の無事を祈る祭祀だったのかもしれないといわれている。

大飛島遺跡出土・皇朝銭(国指定重要文化財)
大飛島遺跡出土・皇朝銭(国指定重要文化財)

笠岡港の力石(かさおかこうのちからいし)県指定重要有形民俗文化財

東浜組の力石
東浜組の力石

笠岡市立郷土館の前庭に置かれている16個の力石が、文化財に指定されている。江戸時代、寄港した帆船に物資を船積み・荷揚げする浜仲仕(はまなかし)が、この石をかつぐことで体と精神を鍛え、力を試し、給金などを決めていたという。大正末期まで、笠岡港の浜仲仕は東浜組と西浜組の2つのグループに分かれていた。最も重い力石は200kg以上あり、持ち上げた人の名前や江戸時代の年号などが刻まれている。

西浜組の力石
西浜組の力石

小寺清先画像(こでらきよさきがぞう)

小寺清先画像
小寺清先画像

小寺清先は、江戸時代、笠岡の八幡平に設立された教諭所「敬業館(けいぎょうかん)」の初代教授。国学者、歌人としても知られる。
笠岡代官の早川八郎左衛門に要請されて敬業館教授となり、館内に移り住んで、子弟の教育に努めた。その人となりは平坦温雅で、鴨方の西山拙斎、神辺の菅茶山、安芸の頼杏坪(らいきょうへい)ら近隣の文人との親交もあつく、和漢の学問研究をすすめ、笠岡の文化向上に大きな役割を果たした。

笠岡邨絵図(かさおかむらえず)

笠岡邨絵図
笠岡邨絵図

明治6年(1873)、小田県時代の笠岡の絵図。「御縣廰」は小田県庁のことで、現在の笠岡小学校にあたる。当時の主要な寺社、地名が記されており、笠岡港周辺の状況も克明にうかがい知ることができる。

その他

そのほか、笠岡ゆかりの様々な資料を展示しております。

  • 考古資料(遺跡からの出土品)
  • 先人の書跡
  • 絵図・地図・写真
  • 民俗資料

展示室の様子

展示室の風景
展示室の風景(入口側から)

展示室の風景
展示室の風景(奥側から)