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豊臣秀吉朱印状

ページID:0002495 更新日:2011年3月1日更新 印刷ページ表示

豊臣秀吉朱印状(とよとみひでよししゅいんじょう)

市指定 重要文化財(書跡典籍)

豊臣秀吉朱印状
豊臣秀吉朱印状

員数:1通/所在地:笠岡市/
指定年月日:昭和50年1月27日

豊臣秀吉が関東の北条氏直にあてて発した宣戦布告状。
歴史上有名な文書で、笠岡市内に伝わってきたものである。
秀吉は文章の中で、北条が関東においてほしいままにふるまい、裁定に違反して真田の城を奪ったこと、天道の正理に背いた氏直は天罰を受けるであろうことを述べ、来年は必ず氏直の首を刎ねる、と宣言して結んでいる。文末には「天正十七年十一月廿四日北条左京大夫とのへ」とし、秀吉の朱印が押されている。

同様の朱印状が、伊達政宗・真田昌幸らにも届けられたことが確認されており、秀吉が氏直あての宣戦布告状を何通かつくらせて諸大名に配り、小田原出陣の趣旨を天下に公表したことが伺える。

この翌年の天正18年(1590)、まさに秀吉によって小田原征伐が行われることになるのである。