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持宝院の梵鐘

ページID:0002491 更新日:2017年7月12日更新 印刷ページ表示

持宝院の梵鐘(じほういんのぼんしょう)

県指定 重要文化財(工芸考古)

員数:1口/所在地:笠岡市走出持宝院/所有者:持宝院
指定年月日:昭和34年3月27日

持宝院の梵鐘
持宝院の梵鐘

持宝院の釣り鐘は、銘文のある鐘としては、県下最古のものとして知られる。
もとは鎌倉時代の建長3年(1251)、肥前三郎藤原資泰(那須与一の子孫)が頂見寺(現在の井原市野上町にあった)のためにつくった鐘だったが、戦国時代に矢掛の庄氏が猿掛城へ持ち帰り、お城で使った。ところが宇喜田直家に攻められて猿掛山は落城。この戦いで鐘は山上から下を流れる小田川に転がり落ちたという。その後、地元の人がこの鐘を所蔵しているのを聞いた走出の領主小田乗清がこれを買い取り、永禄12年(1569)、当時この地にあった延福寺に寄進したという。
その波乱のいきさつが鐘に銘文として刻まれている。側面の乳と呼ばれる突起は欠けて、今では12個を残すのみとなっている。江戸時代に、延福寺跡へ持宝院が移転してきたが、梵鐘はそのまま受け継がれ、現在に至っている。