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森田思軒の墓

ページID:0002473 更新日:2017年7月12日更新 印刷ページ表示

森田思軒の墓(もりたしけんのはか)

市指定 史跡

所在地 : 笠岡市笠岡字小丸 /管理者 : 個人
指定年月日 : 昭和48年6月28日

森田思軒の墓
森田思軒の墓

文久元年 (1861)~明治30年 (1897)
明治時代の翻訳家・批評家で「翻訳王」とも評された。本名は文蔵。
笠岡の西本町で、森田佐平の長男として生まれた。上京して郵便報知新聞社に勤め、翻訳小説を掲載。また、『国民之友』に翻訳文を寄稿する。退職後も、多くの翻訳・批評を発表した。特にジュール・ベルヌの「十五少年」(十五少年漂流記)などの翻訳の業績が知られる。36歳のとき腸チフスで病死した。徳富蘇峰、幸田露伴、森鴎外らとも親交があった。
東京の世尊寺に葬られたが、笠岡小学校裏手の墓地にも分骨して墓がつくられた。笠岡市立図書館には、森田思軒顕彰コーナーとして、遺品などが展示されている。