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代官 井戸平左衛門の墓

印刷用ページを表示する更新日:2017年7月12日更新 <外部リンク>

代官 井戸平左衛門の墓(だいかん いどへいざえもんのはか)

市指定 史跡

所在地 : 笠岡市笠岡 威徳寺境内 /所有者 : 威徳寺
指定年月日 : 昭和49年7月30日

代官 井戸平左衛門の墓
代官 井戸平左衛門の墓

寛文12年(1672)~ 享保18年(1733)
井戸平左衛門正明は、世に「いも代官」と呼ばれた名代官である。享保16年(1731)、60歳にして石見国大森の代官に任命され、翌17年、備中国笠岡代官を兼務する。時に西日本一帯はウンカの大発生によって未曾有の大飢饉となっていた。平左衛門は事態が一刻を争うと判断して、幕府の命令を待たずに独断で陣屋の蔵を開き「米はらい」をしたといわれる。また、被害の大きな村々の年貢を減免した。さらに、やせ地でもとれる食物として甘藷(サツマイモ)を導入して、飢饉をしのいだ。これらの優れた施策によって、井戸代官の支配地からは、ひとりの餓死者も出さなかったと伝えられる。享保18年(1733)5月、笠岡で病死。各地に数百基の顕彰碑が立てられた。墓は笠岡の曹洞宗威徳寺にある。墓前に立つ2基の石灯籠は、笠岡と石見国大森の村人が寄進したもの。