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敬業館の跡

ページID:0002467 更新日:2017年7月12日更新 印刷ページ表示

敬業館の跡(けいぎょうかんのあと)

市指定 史跡

所在地 : 笠岡市笠岡字八幡平 /所有者 : 笠岡市
指定年月日 :昭和38年12月25日

けいぎょうかんのあと
敬業館の跡

笠岡の八幡平にあった敬業館は、江戸時代に開かれた庶民のための教諭所である。
当時の笠岡代官・早川八郎左衛門正紀は、領民教育に熱心な人で、管内の有識者から建学懇願書が提出されたのを受けて、寛政9年(1797)、学館の建設に着手した。学館は翌年春に完成し、陣屋稲荷宮の宮司であった小寺清先(きよさき)が教授に任命された。
その後、清先の子の廉之が2代目教授となった。さらに、廉之の子の完之が3代目教授となったが学館の維持経営が困難となり、私塾となる。明治16年(1883)に学館閉鎖。
現在史跡地内には、近年復元した塾舎(生徒の寄宿舎)1棟と、石碑2基が残る。「思徳之碑」は、早川代官の徳を慕って立てられたもので、文章は小寺清先、筆者は頼山陽。「楢園先生之碑」は、初代教授小寺清先(楢園)の学徳を讃えたもので、文章・筆はともに頼杏坪。また、敬業館跡の西側に小寺家の墓地がある。