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竹喬美術館平成25年度展覧会 村上華岳

霊と艶をもとめて 村上華岳

2014年2月1日(土曜日)~3月16日(日曜日)

村上華岳展ちらし画像

このたび竹喬美術館では、「祈りのかたち」を清新な世界として創造した京都の日本画家、村上華岳(1888-1939)の霊性と艶美に満ちた画業を回顧する展覧会を開催します。

村上華岳は明治21年に大阪市に医者を営む武田家の長男として生まれました。小学校入学時より叔母が住む神戸の村上家に預けられ、後に村上家の養子となります。明治36(1903)年に京都市立美術工芸学校(美工)に入学したのち、42(1909)年には京都市立絵画専門学校(絵専)本科に進み、44(1911)年に入江波光、榊原紫峰、小野竹喬、土田麦僊らと卒業します。美工在学中の明治40(1907)年の第1回文展に《竹藪に狸》が入選し、その後も絵専卒業制作《二月の頃》が第5回文展で褒状を受けるなど、文展に出品を重ねます。そして大正5(1916)年の第10回文展で《阿弥陀》が特選となり、京都画壇の才気に満ちた中堅画家としての評価が高まります。

しかし、大正6(1917)年の第11回文展で《白頭翁》が落選するに及び、かねて文展に不満を抱いていた麦僊や紫峰、竹喬、野長瀬晩花とともに、大正7(1918)年に国画創作協会を設立します。同年の第1回国展に《聖者の死》、8(1919)年の第2回国展に《日高河清姫図》、9(1920)年の第3回展に《裸婦図》と近代日本画を代表する名作をつぎつぎと発表します。華岳は麦僊らが西欧近代絵画への志向を高めるのに対して、《聖者の死》において法隆寺金堂壁画やインドのアジャンタ壁画の研究とイタリアのジオットなどの影響を受けた、「聖」と「俗」を止揚した世界を開こうとしました。こののち大正10(1921)年の会員渡欧に際しては、持病の喘息の悪化のために参加できず、この国展休止の間に国展そのものへの熱意が冷め、大正15(1926)年の第5回国展《松山雲煙》を最後に、出品を止めます。華岳はこの国展において、自然や人間の姿に霊性を見出し、それらに内在する豊潤な艶やかさを表現し、麦僊の鋭敏な感覚表現と対置する世界を開示したといえます。

大正12(1923)年に芦屋に居を移し、昭和2(1927)年には神戸花隈の旧居に戻り、次第に画壇から離れ、六甲の山々を目にしつつ孤独な制作に励み、山水画や仏画に水墨を主とした精神性の豊かな作品を制作しました。隠者然としたこの制作の日々から生まれた作品は、必ずしも簡明なものではありませんが、観る者の心を清らかで艶のある世界へと導くものでした。晩年は華岳の芸術を支持する愛好者による個展を神戸でたびたび開催しましたが、昭和14(1929)年に喘息により51年の生涯を閉じます。

今回の企画は、華岳が描いた風景や仏を単に崇高な精神世界として捉えるのではなく、人間華岳の資質の中にある官能的な要素、その艶美な世界にも光を当てようとするものです。国画創作協会時代を中心とする代表作100点により、華岳芸術の本来の魅力がどこにあるかを見定めていただければ幸いです。

開館時間

9時30分~17時(入館は16時30分まで)

休館日

毎週月曜日

入館料

一般800(650)円
高校生500(350)円
市外小中学生300(150)円
( )内は団体20名以上
笠岡市内の小中学生及び笠岡市内の65歳以上は入館無料 ※それぞれ、お住まいと年齢のわかるもの、笠岡っ子無料パスを提示してください。

前売は一般個人のみ700円 前売券販売所(笠岡市内)図書館、市民会館、生涯学習課、市民課、カブトガニ博物館、中央公民館 (笠岡市外)井原市立田中美術館、華鴒大塚美術館、やかげ郷土美術館、倉敷市立美術館

関連行事

●講演会 「華岳が求めた世界」 上薗四郎(当館館長)

 2月9日(日曜日) 13時30分~15時  笠岡市立図書館視聴覚室

●ギャラリートーク

 2月1日(土曜日)、2月23日(日曜日)、3月9日(日曜日) 13時30分~14時30分

共催

山陽新聞社

助成

芸術文化振興基金

<外部リンク>

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