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指定地の現状

印刷用ページを表示する更新日:2011年3月1日更新 <外部リンク>

指定地の現状

 笠岡市のカブトガニ生息地は、研究者にとって、メッカ的な存在であり、国内外から多くの人々が調査に訪れていた。そういった関係もあって、生江浜海岸の生息地が「天然記念物カブトガニ繁殖地」として、国の指定をうけたのは、昭和 3年(1928)のことである。

しかしその半面、漁民からは網を破る大敵として、嫌われていた。その上、富岡湾の干拓に続いて昭和 41年より実施された笠岡湾干拓は、1811ヘクタールに及ぶ広大なもので、笠岡湾の大半及び指定地でもあった生江浜海岸も干陸地に変えてしまった。


干拓埋立て地の変遷

また干拓の影響によって、二次的な弊害(潮流の変化や水質汚染など)ももたらされる恐れがあるため、昭和 46年に神島水道を新たに繁殖地として追加指定するとともに昭和 50年に、カブトガニ保護センターを設置しカブトガニの保護・増殖に関する様々な調査・研究が開始された。さらに平成 2年にはカブトガニ博物館も建設され、広く世論にカブトガニの保護をPRできるようになった。

広大な笠岡湾干拓の写真
広大な笠岡湾干

拓笠岡湾における水質は、笠岡市が「カブトガニを守る下水道」と銘打って、下水道の整備(平成 9年3月31日現在、総人口の普及率 24.0%)を進めているため、かなり向上してきている。現在、そのすべてが完備されていないにもかかわらず、魚介類が生息するにはなんら問題もなく、カブトガニの卵の孵化実験においても、充分に孵化できるまでになった。またカブトガニ博物館において、年に 4回の水質検査を実施しているが、別にこれといった異常は認められていない。しかし笠岡におけるカブトガニの成体数は、十数年前と比べものにならないほど減少している。

湾内に生息しているカブトガニの正確な数は不明であるが、昭和60年から実施している成体調査によれば、40~50つがいほどである。この調査は 7~8月にかけて行われ、立て網などにかかる数と雌雄の別を調べた上で放流している。しかし、調査対象が網にかかったものに限られることや、標識などを取りつけて個体識別できるような状態で放流していないため、調査済みものが再度捕獲されることも考えられる。したがって、この数値を鵜呑みにするわけにはいかないが、それにしても生息数は少ないようである。

笠岡湾の干潟は年々変化しつつあり、他の生息地の干潟と比較してもその差が歴然としてきた。特に底質は本来の泥ではなく、砂が多く混入していて固く締まった状態にあり、場所によっては運動靴で干潟の上を歩くことさえ可能である。

このように干潟が変わってしまった原因は、干拓以後の笠岡湾にあると考えられる。干拓後の笠岡湾は航路の部分を除き、そのほとんどが陸地化したため、湾は水路状(奥行き 5 キロ、最大幅 0.4キロ)に変貌してしまった。その結果、海水の流れが変わり、さらに大型船がひんぱんに往来することから、波の作用によって砂が激しく移動し、干潟の細かな泥は、スクリュウによって巻き上げられ、沖へと流出したと考えられる。

 現在の笠岡湾の写真
現在の笠岡湾