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展示室をのぞいてみよう-縄文時代

ページID:0049701 更新日:2023年4月1日更新 印刷ページ表示

縄文時代の暮らしって?

 氷河期が終わり、海面が上昇して瀬戸内海が誕生すると、笠岡の縄文人は食料が豊富な海辺に住みつくようになりました。市内の沿岸部には原貝塚(西大島)、黒土遺跡(高島)をはじめ、いくつもの貝塚や縄文時代の遺跡が点在しますが、中でも特に有名なのが津雲貝塚(西大島)です。津雲貝塚では、貝殻、動物の骨、土器、石器、骨角器などが多数出土しました。それらの物から縄文時代の暮らしをかいま見てみましょう。
 シカの角で作った釣り針や、石のおもりつけた網を使って魚を捕ったり、浜辺でハイガイやカキなどの貝を集めたりしていました。冬には、弓矢を持って野山に狩りに出かけ、シカやイノシシなどを捕っていました。また、春には山菜、秋には木の実が簡単に手に入りました。
 そして、縄文時代と聞いて思い浮かべるのが、表面に縄目模様などがある縄文土器ではないでしょうか。土器は鍋や容器の機能をもっています。約1万5千年前に土器が発明されたことで、食生活に大きな変化がおきました。それまで食料は生で食べるか焼いて食べるしかありませんでしたが、土器を使って煮炊きして食べることができるようになりました。
 縄文土器には様々な形や模様があり、非常にバラエティーに富んでいます。製作された時期や地域によって異なり、考古学ではこの変化をもとに、縄文時代を草創期・早期・前期・中期・後期・晩期に区分しています。津雲貝塚では後期と晩期の土器が特にたくさん出土しています。
 

郷土館展示資料 縄文時代の道具

津雲貝塚出土縄文土器
縄文土器 (津雲貝塚出土 縄文時代後期) 
上段:口の部分の破片 下段:底の部分の破片
食料を煮炊きしたり、貯蔵したりするために使われた。

縄文時代の石錘
石錘(津雲貝塚出土) 長さ7.6cm 幅5.4cm
魚を捕る網につけるおもり。縄で網に結びつけた。
縄を巻き付けやすいように、打ち掻いて上下をくぼませてある。

縄文時代の石鏃
石鏃(津雲貝塚出土) 長さ1.2~2.3cm
矢の先端につかる矢尻。
弓矢は、素早く走るイノシシやシカを捕まえるのに威力を発した。

津雲貝塚の縄文人って?

 西大島にある国指定史跡 津雲貝塚では、大正時代に行われた18回もの発掘調査で、約4000年~2500年前(縄文時代後期から晩期)にかけて埋葬された170体以上の縄文人骨が出土しました。
 出土した人骨には、「抜歯」や「屈葬」といった縄文時代の風習が見られました。「抜歯」は健康な歯を強制的に抜き取る風習で、成人や結婚などの通過儀礼として行われたと考えられています。「屈葬」は、腕や脚を折り曲げた状態で葬る埋葬方法です。埋葬された人骨の中には装身具を身に着けているものもあり、貝輪を腕にはめた女性の人骨や、鹿角製の腰飾りを着けた男性人骨が見つかっています。
 令和3(2021)年には、京都大学が所蔵する、津雲貝塚から出土した約3000年前の人骨に残る傷痕が、サメに襲われて付いた傷であることが特定されました。また、これまでプエルトリコの遺跡から出土した約1000年前の人骨に残された傷痕が、世界最古のサメ被害の痕跡でしたが、津雲貝塚のものは、それをさらに2000年以上さかのぼることが分かりました。

郷土館展示資料 縄文時代の装身具・サメの歯

貝輪
貝輪(津雲貝塚出土 個人蔵・郷土館展示) 
縦7.9cm 横9.6cm
サルボウという2枚貝の貝殻を加工した作った腕輪。
表面は磨かれて、貝殻本来の模様が消えている。
縄文人の女性が身につけていた。

腰飾
腰飾(津雲貝塚出土 個人蔵・郷土館展示)
幅6cm
シカの角を加工して作った腰飾。
複雑な加工を施して成形されている。


サメの歯
サメの歯(津雲貝塚出土)
メジロザメ類の歯。津雲貝塚の縄文人を襲ったのは
ホオジロザメやイタチザメと考えられる。
縄文時代には、サメの歯や椎骨を
装身具の材料として利用することがあった。