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移住者の声 No.6

印刷用ページを表示する更新日:2020年12月18日更新 <外部リンク>

南 智之さん・珠美さん ご家族

南さんファミリー

 北海道→笠岡市西大戸 2009年移住

 「田舎に移住して工房を持つ」、そんな夢をかなえるため両親の出身地である笠岡市家族4人で移住。

 家具工房「サザンツリー」<外部リンク>を経営。

家具類

きっかけ

 私は大阪生まれ大阪育ち、大阪でサラリーマンをしていました。商社という仕事柄、約半年を海外で仕事をし、日本に居る時も深夜1時2時を過ぎての帰宅という日々を過ごしていましたが、結婚を機に家族との時間を優先したいという思いが強くなりました。そのためにはどうずればよいか悩んだ結果、開業して自分の時間で仕事ができる家具職人への道を決意しました。

 職人になるための技術を習得するため、会社を辞めて岡山県津山市の津山高等技術専門校(現岡山県立北部高等技術専門校)に入校し1年間勉強をしました。大阪に住んでいたのに津山の技術校を選んだのは、伝統工法による家具の製作技術の習得ができるからです。大量生産の家具の組み立て工場で必要となる技術を習得できる専門校は大坂にありましたが、伝統工法が取得できる津山市の専門校の門をたたきました。使い捨てされる家具ではなく、永く使っていただける本物の家具を作りたい。自然環境を犠牲にしても安くて、便利で、気分で買い換える、そんな時代から一つの物を大切に使い続け、子どもたちの将来のため、たとえ半歩でも、一人でも多くの人が環境への意識を持つだけで世界は変わる。そんな思いで家具を作っています。

 卒業後、妻の実家がある北海道札幌市へ移住し、工房を立ち上げました。北海道での開業のきっかけは北海道産材の仕入れルートを確保しようと考えたからです。開業後、徐々にネットでの需要が高まり関東関西を中心に全国への商品発送が9割を超え、物流面や諸々の理由から移住を決意。すでに仕事を引退した両親が笠岡市にUターンしていたこともあり、岡山に移住しようと考えました。

移住先の選定について

 移住地の選定は2年ほどかかりました。家具製作にあたり大型機械を使うとどうしても音が発生しますので、近隣の家から離れた工房と自宅がセットになった物件、イメージ的には山奥の一軒家。海が好きなので、比較的海に近いということで、笠岡市の周辺地域を中心に移住先を探しました。情報収集はインターネットが中心。住まいと工房が必要なので、廃校になった校舎などを探していたんですが、なかなか話が前に進まず...。そんな中、笠岡市役所の前を通りかかったら「定住促進センター」という看板を見つけ、ふらっと訪ねてみました。立ち上がったばかりのセンターでまだ物件は皆無でしたが、その後、我が家に合う物件を探してくださり、年末に物件の紹介を受けて、翌年の3月には今の住居への移住が決まりました。本当にあっという間でした。

 定住促進センターには、物件の紹介はもちろんですが、その他にも色々とサポートいただきました。賃貸契約の交渉、学校や教育委員会への連絡など、移住前に得たい情報を共有していただいたり、移住後も、電気や水道の工事、市役所の手続きなど、「分からないことがあったらまず定住促進センターへ」という感じでお世話になりました。

移住してからの生活について

 築35年を超える住まいはそのままでは住めそうになかったので、自分でリノベをしました。床には断熱材がなく、壁の断熱材は痩せてしまい冬を過ごすにはとても寒い家でした。北海道の住宅の防寒対策は他の地域とは比べ物にならないほどで、氷点下の真冬の時期でも家の中では半袖で過ごせる住環境です。そんな北海道出身の妻の希望もあり断熱工事を中心としたリノベーションは大掛かりなものになりました。

 賃貸した敷地には畑もあり、梅や柿が大量に成ります。野菜づくりもできて、季節ごとの収穫が楽しみになりました。雑草を管理するためヤギも2匹も飼い始めました。子どもたちもこの緑に囲まれた環境を大変気に入ってくれています。笠岡の市街も近いので買い物や生活の面でも不自由は感じません。

 仕事の方も、以前はネットを中心とした販売のため地域との関わりが少なかったのですがここ笠岡に来て、近所のお客様や地域の業者様から注文をいただいたりと地元での仕事も増えました。定住促進センターの看板とお試し住宅にあるテーブルも「サザンツリー」の作品です。移住検討で笠岡に来られた際には、ぜひご覧ください。

看板

↑<定住促進センターの看板>

テーブル

↑<お試し住宅のテーブル>